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瑞巌寺 ずいがんじ(国宝・国重要文化財)

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院です。
 
9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わっています。
13世紀中頃、鎌倉幕府執権・北条時頼公が法身性西禅師を開山として臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めています。
関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行いました。中でも戦国時代を経て衰退していた円福寺の復興には特に力を注いでおり、事業開始にあたり自ら縄張りを行い、平安の昔から「浄土の地」とみなされてきた紀州熊野に用材を求め、畿内から名工130名を招き寄せる等、政宗公の意気込みが感じられます。
 
慶長13年(1608)に鋳造された大鐘には、「山を号して松島と曰い、寺を名づけて瑞岩(巌)と曰う」という一文を見ることができます。これが「瑞巌寺」という呼称の初出で、以後、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」としました。
翌慶長14年(1609)、5年の歳月を経て工事が完了し、以後江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内随一の規模と格式を誇りました。
 
桃山美術を現在に伝える貴重な建築物であることから、昭和28年(1953)に本堂(附属御成玄関)が、昭和34年(1959)に庫裡と本堂をつなぐ廊下が国宝に指定されています。
平成30年(2018)には10年に及んだ「平成の大修理」が完了し、政宗公が心血を注いで完成させた創建当初の姿が現在に甦りました。
 
本堂
瑞巌寺は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年(1609)に完成
しました。
本堂は正面38m、奥行24.2m、棟高17.3m、入母屋造の本瓦葺で、室中
(孔雀の間)・仏間・文王の間・上段の間・上々段の間・鷹の間・松の間・菊の間・墨絵の間・羅漢の間の10室から成る大規模な建物です。
各室は部屋の使用目的にふさわしいテーマに沿って描かれた絵画や彫刻で装飾されていて、天井も造りが異なります。
昭和28年(1953)、国宝に指定されました。
墨絵の間以外の障壁画は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれており、400年余の時を超えて、政宗公が受けた感動を実際に体験することが出来ます。
 
 
庫裡
「庫裏」とも表記され、寺院で主として台所の役割を担う建物です。
正面13.8m、奥行23.6m、切妻造の本瓦葺で、大屋根の上には入母屋造の煙出しをのせています。
庫裡は実用本位の建物であるため装飾が施される例はあまり見られませんが、正面上部の複雑に組み上げられた梁と束、妻飾の豪壮な唐草彫刻が漆喰上に美しく設えられているのが特徴です。
昭和34年(1959)、国宝に指定されています。
 
宝物館(青龍殿)
主な収蔵品は、国指定重要文化財の本堂障壁画、伊達家歴代藩主画像はじめ伊達家から寄進された絵画・書跡・茶碗等の美術工芸品、歴代住職頂相(肖像画)や臨済禅文化が創出した墨跡、瑞巌寺の前身・中世円福寺に関する発掘出土品、日本三景松島に関する絵画や書跡等です。
1階には本堂の「上段の間・上々段の間」を部屋ごと再現した特設室を設け、国の重要文化財に指定されている障壁画の原本を収蔵保存しています。文化財保護の観点から期間を制限して公開しています。
 
 
洞窟遺跡群
参道の右側にある洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えます。
松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもありました。
現在残る最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、政宗公に殉死した佐藤吉信(法得紹隆禅定門)のもので、他に残る供養塔もそれ以降のものであることから、現状となったのは江戸後期のことと推測されています。

 

■ガイド(有料)
松島観光ガイド 022-354-3218 
 
■写経体験
伊達家の至宝に囲まれて心静かなひと時を過ごしませんか?
毎週月曜日 料金:1000円 所要時間:1時間
 

基本データ

電話番号 022-354-2023
住所 〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内91
アクセス JR仙石線松島海岸駅から徒歩10分
営業時間 4月~9月  8:30-17:00
10月・3月 8:30-16:30
11月・2月 8:30-16:00
12月~1月 8:30-15:30
(※最終受付は閉門時間の30分前です。)
料金 大人700円/小・中学生400円 
ホームページ http://www.zuiganji.or.jp/

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