万葉の昔より歌枕として用いられ、みちのくを代表する名勝松島が「宮島」「天橋立」と並び日本三景の一つと言われたのは1714年ごろ(正徳四)、江戸幕府の儒学者林羅山の三男である林春斎がその著書「日本国事跡考」において、「日本三処奇観」と記したのに始まります。
俳聖芭蕉が奥州行脚する目的の一つとした松島は、奥の細道の中で「松嶋の月まず心にかかりて」とありますようによほど気にかかっていたようで、「扶桑第一の好風なり」とそのあまりの美しさに驚嘆し、絶句したそうです。
また、芭蕉が詠んだ句と言われる「松島やああ松島や松島や」は、後にできた逸説のようです。現在、このすばらしい景観保持のため、全国のゴルファーの協力により、松の植樹が行われています。