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比翼塚 ひよくづか

昔、三聖堂の近くに小太郎という男の子がおりました。ある年小太郎はお堂の近くに2本の梅(軒端の梅)を植えました。小太郎が15歳の春、父親(蜂谷掃部)は西国観音参りの旅に出ます。その旅で出羽象潟(秋田県にかほ市)の商人と仲良くなり、別れを惜しんだ2人は、自分の子供達の結婚の約束をしました。しかし、父親が旅から戻ると、小太郎は病で亡くなっていました。これを知らない象潟では、娘・谷(たに)を松島に嫁がせてきます。谷を哀れみ象潟に帰るように勧めますが、谷は嫁として松島に残って父母に尽くし、父母亡き後は名を紅蓮と改め、一度も会えなかった夫・小太郎の供養に生涯を捧げます。
 ある春、紅蓮尼は美しく咲く軒端の梅を眺め、会えなかった夫への思慕から「植えおきし花の主ははかなきに軒端の梅は咲かずともあれ」と悲しみの歌を詠むと、翌年にはこの梅だけは咲きませんでした。これを悲しんだ紅蓮尼は「咲けかしな今は主とながむべし軒端の梅のあらんかぎりは」と詠むと、それからは毎年美しく花開いたそうです。
 「松島こうれん」は、お堂にお供えした米を紅蓮尼が粉にして焼き、人々に振る舞ったのが始まりといわれており、約700年の伝統があります。
 
二人のお墓碑は、別々の場所にありましたが、昭和43年、生前はおろか640余年を過ぎても一緒になれない二人をせめて墓碑だけでも同じ場所に並べてあげたいと紅蓮尼に縁深い瑞巌寺境内観音堂水月庵跡に、紅蓮尼と小太郎の比翼塚が建てられました。
毎年8月6日に2人の供養祭が行われます。また、小太郎と紅蓮尼の縁を大切に、松島町と秋田県にかほ市は夫婦町となっております。

基本データ

住所 〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島町内89
アクセス JR仙石線松島海岸駅から徒歩6分

アクセスマップ

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